2008年6月30日
本を書きたい、遺したいという願望はもしかしたら人間の本能の一部ではないかと、最近思うようになりました。たくさんの無名の著者の方々と出会い、それぞれの自分の本を作りたいという情熱に直接触れてきて、それは確信に変わろうとしています。私が幻冬舎ルネッサンスの責任者になって、2年になります。この 2年間は私にとっても、自費出版界にとっても激動の時でした。いつか総括しなければならないと考えていましたが、ようやくその時期が来たと思います。
就任当初は、自費出版というものがどういうものなのか全く分からず、今までの編集者としての自分の経験をどう生かせばよいか皆目見当がつきませんでした。何から手を付ければよいのか悩みました。そして、とにかくいろんな人の意見を聞いてみようと思った時、まず最初に読者にいちばん近い書店さん、そうだ、全国の書店さんを回ってみようと決めました。20ヶ所以上回ったでしょうか、そこで初めて自費出版の現状を知ったのです。自費出版への評価は芳しいものではありませんでした。忘れもしません、象徴的だったのがいちばん最初に会ったある地域の大書店の会長さんの言葉でした。「あなたが幻冬舎ルネッサンスをやるのなら、今の大手自費出版社の本を棚から駆逐してほしい」、そう言われました。それは私に対する励ましの言葉と解釈したのですが、私がやろうとしているのも自費出版、一体何が違うのだろう、求められているものは何なのかと、悩みは一層深まるばかりでした。
そんな眠れぬ日々が2ヶ月続きました。今月は5冊、来月も6冊、こんな状態では会社の経営も危うい、ましてや将来の展望など全く見えませんでした。その時ふと頭を過ったのは、『他社はどうやっているのだろう?』という、とても単純な疑問でした。そこで当時業界No1といわれていた新風舎は月に何点くらいの本を出版しているのかと、スタッフの1人に聞いてみました。一時新風舎で仕事をしていて、思うところがあって辞めた者です。その者は事も無げにこういいました。「200点くらいですかね」。その返答に私は「いいかげんなことを言うな!ちゃんと調べてから報告しろ」そう怒りました。数日後、その者がやってきて言いました。「すみません。やっぱり違ってました」。「そうだろう」。「月に230点くらいだそうです」。この一見漫才のように見えるやり取りをした瞬間、はっきりと進むべき道が見えました。そしてあの書店の会長さんの発言の真意がやっと分かったのです。
月々の刊行点数が230点というのは、何かが間違っています。しかしその数を裏付ける資料が昨年発表されました。「出版年鑑2007」です。それによると全出版社別でみる年間の新刊点数のトップが新風舎の2788点、2位が講談社の2013点、3位が文芸社の1468点、4位が学研の1106点、5 位が小学館の937点・・・・・・と続きます。ベスト3のうち2社が自費出版の大手です。仮に2788点を12ヶ月で割るとやはり232点。これを土日を除く営業日で割ってみると、1日約10点。驚くべき数字です。
本はそんな簡単にできるものではありません。出版とは人の精神を形にするという仕事です。安易な作業ではないのです。本には本になるための重要な過程があります。まだ本として熟成していないものに単にパッケージをつけているのではないか、そんな疑問を抱きました。しかもそれを流通させるという。真っ当な感覚では理解し難い、物理的に不可能な話です。結局、新風舎はあのような不幸な結末を迎えてしまいました。心から自分の本を出したいと思っていた方々のことを考えると胸が痛みます。
これらのことから私が得た結論はいたってシンプルなものでした。それは皆様の思いが籠った本をどこにも負けないクオリティで出版することです。高質なものを出し続ければ必ず幻冬舎ルネッサンスはやっていける、そして自費出版界を変えていける、この2年間、ただそれだけを訴え続けてきました。
ちょうどそんな時、私はある本と出会いました。私の手元に『氷の華』という新刊の見本が届いたのです。天野節子さんという著者の書いた長編ミステリィ作品でした。何となく気になりながらも日々の雑務に流され、数週間が経ってしまいました。何故かどうしてもその本に呼ばれている気がして、ようやく手に取って読み始めたのです。そうするともうページを繰る手が止まらない。読み終わった時はほとんど興奮状態でした。『こんな質の高い作品が自費出版にあったのだ。しかも自分の会社で出版できたのだ』という感動と喜びに胸が振るえました。
私はこの素晴らしい作品を幻冬舎の文庫に入れられないかと考えました。と同時に何人もの出版関係者、映像関係者に本を送って読んでもらいました。評判も上々でした。そんな話が回り回って幻冬舎の社長である見城徹の耳に入ったのです。「そんなに面白いならもう一度幻冬舎から単行本で刊行しては」。この見城の提案は私には願ってもないものでした。文庫に出来たらいいなと思っていたものが、もう一度単行本になる。
私はすぐに著者である天野さんにお会いしました。当時61歳、背すじの伸びたとても素敵な方でした。幻冬舎で再出版する許可をいただいた際に、何故この本を書いたのかという質問をしてみました。その時彼女はこう言いました。「私は一度も結婚をしたことがありません。当然子供はいません。両親はとうに亡くなりました。唯一の肉親だった歳の離れた姉もいまはこの世にいません。私はたったひとりぼっちなのです。50代の半ばを過ぎた時、ふと考えました。どうにかひとりで暮らしていけるお金はある。とすると今後の私の人生の課題はどうこの孤独感とつき合い、さし迫る老い、死の恐怖とどう闘うのかということです。
それを一時でも忘れるために何かに没頭したい。そうだ若い頃からずっと好きだったミステリィを自分で書いてみようと思ったのです」。そして最後ににっこり笑ってこう言いました。「この小説を書いている間はとても贅沢な時間を過ごさせていただきました」。私は震えました。この人はこの作品を書かざるを得なかったのだ。この作品は天野さんの魂の叫びなのです。そして天野さんと出会ったことにより出版界においての自費出版の必要性を改めて理解したのでした。
1000部の自費出版からスタートした「氷の華」は、幻冬舎で、単行本として初版10000部、重版10000部の計20000部、今回文庫本の初版 50000部が決定しました(2008年7月15日現在、合計20万部突破)。各テレビ局からドラマ化のオファーが続き、今秋にはスペシャル・ドラマとして放映されます。これは出版界の奇跡かもしれません。そしてこの奇跡を呼び起こしたのはまぎれもなく『氷の華』が持つ作品力に他ならないのです。
弊社にはいままで刊行してきた本を陳列する棚があります。数えてみるとその数は200を超えました。そしてまた新しい生命が加わってゆきます。先に述べた『氷の華』をはじめ、その一冊一冊に思い入れがあり、いとおしくさえ感じます。小説、エッセイ、実用本、詩集、写真集、自分史……あらゆるジャンルの本が並んでいます。2年前は25冊に1冊しか重版できなかったのが、昨年は10冊に1冊の割合で重版をかけることができました。またジャンルの違いはあれ、それぞれの著者の方には必ず何かを表現したい、伝えたいという強い意思がありました。
それを私は「本能」と感じたのかもしれません。それに応えられる出版社になることが私たちの使命だと考えています。出版界が未曾有の不況にみまわれている現在、ますます新人の書き手の門戸は狭められています。だからこそ新しい表現者発掘の手段としてもこの「個人出版」という素晴らしいシステムは今後ますます注目されていくのではないでしょうか。まだまだ万全とはいえませんが、日本の出版文化においてなくてはならないものなのです。
人は皆生きている、ただそれだけで感動的であると私は思います。そんな「人」が何かを書いて遺したい、その思いが籠った本が面白くないはずがありません。私たちはそう信じてこれからも本作りに取り組んでゆきます。


