五感で感じる本の魅力代表取締役副社長 新実修
実感するのは、本づくりに誠実な想いを込めることの尊さ
本そのものを味わう。その本は上製だろうか、並製か。判型は。
まず装幀を楽しもう。カバーのデザインはもちろん、帯の深さはどうだろう。表紙、見返し、花布、スピン。その素材や色、印刷に使用されている色と数、特別な加工は施されているだろうか。とくと見る。次に片方の手にのせ、持ち応えを感じる。その後は親指と人さし指で本文の印刷された紙に触れ、用紙の厚さや色味、その感触を調べる。白地にスミ文字で印刷されている本文紙でも黄赤青とほのかな色味を帯びているのに気づく。文字組みはどうか。上下二段組みの小説本もあれば、余白を生かした文字組みの小さな物語や詩集もある。いよいよ匂いを嗅ぐ。ごく新刊であればインクの匂いが立ち上ることもある。残念ながら五感すべてとはいかないが、目と鼻と肌で一冊の本を感じる。良い本はそれらしい表情を持っているものだ(ぞんざいに扱われていると気の毒でならない)。これが、頁を開き作品と向き合う前段の、本を味わう、ということ。日本酒やワインのテイスティングのように、書籍という実物を吟味し堪能するのだ。
そのほかの物を作る現場と同様に、本の編集や制作をするにも様々な用語がある。多くの時間を費やし、それぞれの過程で作り手がその用語を用いて思案しながら、作業が進行していく。自費出版を掲げる会社は多数あるが、私たち、幻冬舎ルネッサンスの仕事は、決まりきった既成フォーマットに流し込むだけのオンデマンド製本ではないので、社員はそれぞれ敬意をもって作品にふさわしい表情を精確に探ることに努める。著者の真摯な表現として生み出された作品の編集作業に、私たちの経験と知識が生かせるように。生み出す興奮と伝える喜びを著者と共有する何回もの打ち合わせの中で、すべての選択にはその理由があることを常に明快に私たちは説明していきたい。そういう現場であるように心にとめている。
そして、ようやく手に触れられなかった原稿が、本という形を得た見本が手元に届く日がやって来る。その日はいつも特別だ。様々な試行錯誤を知っているからこそ、印刷会社から届いたばかりの本を手にする時の緊張と喜びは格別なのだ。自分が本から多くのものを得たからこそ、著者からお預かりした原稿の本づくりに、誠実な想いを込めることが尊いことだと実感できる。私たちの日々の一歩は、目の前に広げていただいた原稿が得るべき形とその表情を、著者と共有することから始まる。
先人の叡智を後世へとつなぐ“形”
巷の自費出版では、迅速さと簡易さを優先するアプローチが多い。しかし、それは幻冬舎ルネッサンスの求める理想とは全く異なる別物だ。そのような手法では、私たちがくみ取り形にしたい著者の情熱や、作品が宿す力を測る余裕がなくなってしまうからだ。
著者から示された原稿を前に、私たちは著者と企みを共有する存在であることも常に心がけている。心に浮かび上がる感情に輪郭を与え人間を描く小説、知的好奇心に駆られ自分をとらえて放さぬ主題、二度と戻れぬ瞬間を切り取った写真。著者の、目に見えぬ想いや思想、知識に、費やされた長い時間に、書籍という形を与え、繰り返し手に取り読み返すことを可能にする。それが私たちの仕事だ。文字を得て紙を発明した我々の先人たちは何世紀もの間、後世へと記録をつなぎ、やがて印刷という手段を得て、より多くの人々へその考えを広めることを可能にした。重くかさばる紙を束ねて作られる本が何百年もの間、この形であり続けたのには理由があるのではないか。書物という形だからこそ守られる無限の自由と革新が宿り続けたことを信じるからこそ、私たちの書籍に寄せる信頼はなくならないはずだ。
本はなくならないという確信
軽量で情報量が圧倒的に多く、他方向にリンクを張れる電子書籍。千差万別のカスタマイズが可能な端末機は、読者に一昔前には想像もし得なかった簡便さをもたらした。そこでは受け手の自由と利便性が優先される。そのような時代の潮流の真っ只中でなお本という形にこだわることは、もはや時代遅れなのだろうか。昔読み込んだ本は経年の味わいがにじむ背表紙を向け、最近求めた一冊は新しい時代の息吹を感じさせる勢いがあるかもしれない。ただそこにあり続け、作り手の企てと頁をめくった読み手の想いが時間という重みで挟み込まれていく。それゆえ本は書棚でずっと息づいている。どんなに電子出版が興隆したとしても、この形はなくならないという確信が私たちにはある。
“本”を日本酒やワインのテイスティングのように深く味わってほしい。

